大ばばと小ばばのダブル介護と主夫日記

70年代に15から25を過ごしたリタイアおじさんの要介護の母と妻ダブル介護生活

レスパイト

卒業後一度もなかった大学の同期会が、入学50年の節目の今年にありました。小ばばを預けて、月イチの楽団練習も勘弁してもらって大阪まで行きました。

半世紀も経ったんですねえ。通信工学科総勢40名中22名の出席。ひとりずつ話をしましたが、みんなクソ真面目www。嫁はんのお尻毎日拭いてますという私の話と大違い。立派なん仕事をしてきたんだなというのがよくわかりました。完全リタイア組の方が少ない感じかな。この年になっても社会に求められているのは立派だなと彼我の違いを噛み締めておりました。

二次会という動きもなく解散。私は友人とふたりで自分のホテルの部屋でギター三昧、そのあとずっと喋ってました。彼には大学に入ってから、フィンガーピッキング中川イサトSimon&Garfunkelの弾き語りを教えてもらいました。それまでTVでしか歌を聞いたことのない私には新鮮な世界でした。それが50年も尾を引く趣味になるとは。

次の日は、朝早くに奈良へ移動。相変わらず近鉄奈良線は飛ばしますねえ。高校時代の友人と待ち合わせまでにたくさん時間があったので大和西大寺駅から、平城宮跡の北側を通って、法華寺まで歩きました。法華寺光明皇后さんの建てたお寺で総国分尼寺ですね。お寺にいる間は参拝客は私一人で静かな空気を味わいました。あじさいや蓮の花が静かにきれいに咲いていました。結構ゆっくりしたので、待ち合わせの郡山まで電車に乗ることにして、新大宮まで歩きました。毎朝の散歩くらいの4キロほどでした。新大宮は高校の最寄り駅で50何年前は、道も舗装されておらず、建物もなく、ひどいところでしたが今や奈良の新都心ですね。

関西の私鉄は広軌のせいかドアのガラスも窓も大きく、景色がよく見えます。東京に出てきたとき、電車で立ってると背の高い人には遠いところの景色が見えないのに驚いたのを思い出しました。平城京跡の中を走る近鉄線の移転の話は、保守分裂で漁夫の利を得た?新しい知事がキャンセルしてしまったようですね。

郡山駅につく頃は雨が降ってきました。友人と奈良県立民族博物館というところに行きました。残念ながら月曜は多くの博物館は閉館です。ここは博物館の周囲が大きな公園になっていて、そこをゆっくり散策しました。途中で、お葬式の話になって無宗教でのやり方などを友人に聞いて、興味を引かれました。

友人と別れてから橿原神宮まで行き、小ばばの兄夫婦を訪ねました。私の健康のことなど気を遣ってくれて、早く特養に申し込むようにと言ってくれました。前から言うように私の決心はついておりません。まだ見てやれると思っているので。今回のようなレスパイトは、小ばばが施設に入ればそれこそ自由に好きなときにできる訳ですが、制限の中の休息だからこそ休息できるんじゃないかなとも思います。今回も曖昧な返事をしておきました。

次の日は、大阪にいる弟夫婦の車で父方と母方の墓参。私のジジババの墓になります。もう来ることはないかなと思いつつお参り。そのあと、御所市に住む大ばばの妹、つまり叔母に会いに御所(ごせ)に。まだまだ元気な叔母を見て少し安心。柿の葉寿司で有名なお店でみんなで柿の葉寿司ランチしました。大ばばがもはや誰もわからなくなってしまっていることなどを話し、昔話などしてしんみりしました。

南大阪線橿原神宮へ、そこから京都まで特急で行き、新幹線で帰りました。2泊3日の休息。小ばばは4泊5日で預かってもらいました。

またしばらく変わりない日々を暮らしていきましょう。今度レスパイトする時は他の土地に行ってみようかな。