大ばばと小ばばのダブル介護と主夫日記

70年代に15から25を過ごしたリタイアおじさんの要介護の母と妻ダブル介護生活

帰りたくない

毎週小ばばに会いに施設に行ってます。週一の頻度を超えて面会はさせてくれませんので。

体調も良さそうで、平常食をとり、この施設ならではのリハビリもしてもらっているようです。立ち上がったり歩いたりはかなり困難なままです。もうこれ以上の回復は望めないでしょう。

ということは家に帰って暮らすのは厳しいということです。私の負荷が大きいであろうのはもちろん、本人の快適さというか彼女のQoLが施設より落ちてしまうであろうことは自明です。

とは言え、気持ちの問題があります。私もいろんな負の条件を考慮しても伴侶と一緒にいたい、世話をしてやりたいとの思いがありますし、小ばば自身が家で暮らしたいと思っているかが問題です。

昨日の面会で、「家に帰りたいか?」と聞いてみたのです。そうしたら、「ここがいい」との回答でした。本心を隠す、遠慮する、というような頭の回路は壊れていると思いますので、ストレートに今の施設の環境を享受しているんだなと思いました。

実際問題として、「帰りたい」と泣かれたらどうしようとの思いもありますので、肩透かしを食った感覚とホッとする感覚を同時に感じました。

「たくさんのスタッフさんが色々と面倒をみてくれてとてもありがたいので、ここにいられると安心なの」という本心を受け止めることにしました。それでも何やら可哀想な申し訳ない感覚は拭えないのですが。

昨年頑張った一次断捨離以降止まってましたが、帰って来れない前提で本格的断捨離第二弾を始めましょうかね。

 

 

33回忌

父が亡くなって32年経ちました。命日に弟夫婦と息子とで僧侶を墓前に呼んで33回忌法要を行いました。

父は次男で、うちには墓がありませんでしたので、父が死んで長男の私が建てました。死んだ本人は埼玉の田舎に葬られるのは本意じゃなかったでしょうね。奈良が好きでしたから。でも、近くで頻繁にお参りできる方がよかろうと市内に建てました。

亡くなって以来、母が動ける間の30年は一度も欠かすことなく、月に一度墓参りをしてきました。この墓は、いわば、母のために建てたようなものですね。

母が入院したあとも毎月私が参っていましたが、妻の状態が悪くなり介護に忙殺されるようになってからは、春秋のお彼岸、盆暮れ、命日以外は行かなくなりました。ま、それでも5回は行ってるので許してほしいと思うところです。

それに、毎朝、仏膳をあげていますしね。

 

ですが、こういうことも私の世代までだなと思います。墓の今後の管理について、共同墓地に移すことも含めて思案中です。

お墓は、亡くなった人のことを思い出す生きてる側の人達のためのものだと思います。そうやって毎月欠かさず墓参りしてきた母(大ばば)ですが、お父さんと同じ墓には入りたくない、というようなことをつぶやいたことを記憶しています。まあ、たしかに大変な父親でしたからね。そういうこともひっくるめてどうしようかなと思うものです。

今日、大ばばの面会(いまだにタブレットです)に行って、33回忌やったよと伝えましたが、わかっているのかどうかはわかりませんでした。

一周忌や三回忌にたくさん集まってくださった親類縁者も私より年上はほぼほぼもういなくなっています。次の順番が近づいてきました。

自分自身は、死ねば元素に分解されて散ってそれでおしまいと思ってますので、墓も墓参りも年忌法要も、自分側としては不要と考えてますが、残った側がどうするかはわかりませんね。

 

時間が余ります

最近、魔の70代とも言うべきか、自分より少し年上の有名人が次々と亡くなっていきます。そういう意味で冷静に考えてみるに、自分にはそんなに時間が残されていないという現実と向き合わざるを得ません。

だからこそ、いつ終わりを迎えてもいいように、時間を無駄なく使ってきちんと身辺整理をしておく必要があるというのが「一般的」な言われ方ですね。

で、翻ってみるに、非常に無駄遣いしてます、時間を(苦笑)。笑ってる場合じゃないのだけど、ぼんやりしてる時間が多いです。

仕事をやめてから、大ばば、小ばばの介護でかなり時間を取られて、趣味の活動にも支障をきたすくらいでした。それが幸か不幸か、二人とも施設にあずかってもらうことになってしまい、その時間がぽっかりと空いてしまいました。

さあ、これで好きなことを好きなだけできますよ!と周りからも言ってもらい、自分もそうなんだよなと思ってたんです。

でもね、好きなだけと言われても、趣味の活動も毎日じゃないし、それ以外にこれと言ってやりたいこともなく、毎日、掃除、洗濯、炊事をして、週一でふたりの面会に行くしかやることがありません。基本的に出不精なもので家にいるのが好きなのであちこち出かけることも少ないし出かけたいとも思わないのです。

というわけで、残り少ないはずの時間をぼんやりと余らせている今日この頃です。精神が腐っていくようです。かと言って面倒な仕事はお断りですし(笑)。

いっそのこと、小ばばを引き取ろうかなあ。うだうだブツブツ言いながら二人で暮らそうかなあ。でもしんどいやろうなあ。どうしようかなあ。などとぼんやり考えて今日も一日が終わろうとしています。こりゃあかんわ・・・・

ちなみに、今日も、ルーチンはこなしました。仏膳を供えて、ストレッチ、朝食、洗濯、掃除、朝のウォーキング、譜面の打ち込み、昼食、譜面の打ち込み、おやつ、アマゾンの映画、夕食、風呂、譜面の打ち込み。全然充実感が無い。ルーチンワークだから新鮮さが無いね。

 

明けましておめでとう

新年の小ばば初面会行ってきました。

地震が怖かったこと、飛行機の火事のことなど話題になりました。少しはテレビの情報などを覚えているようです。地震は実際揺れたので怖かったのでしょう。

白味噌仕立てじゃないお雑煮を初めて食べたようです。餅は危険なので小さくなってたみたいです。

私のそばにいたいけど、スタッフみんな親切で下の名前で呼んでやさしくしてくれるし、やっぱりしばらくここでお世話になるね、とのこと。

連れて帰りたい衝動に駆られましたが、頭を撫でるだけにしました。

家族全員バラバラに暮らす日々がつづいていきます。

 

今年もいろいろ

2021年の2月から小ばばの自宅介護が始まり、3年近く経とうとしています。2021年夏には大ばばの様子がおかしくなり訪問医療、訪問看護のお世話になりつつ、大小のばばのダブル介護になりました。訪問医師が見かねて大ばばの入院を手配くださり、小ばばの介護に集中できるようになりました。

それ以降、ゆっくりと下り坂を降りるように小ばばの体調は衰えて行きました。

2年経った今年の春には、勝手に家を抜け出して帰れなくなり、また転倒して救急車で運ばれることもあり、2階での生活を断念して1階に居住空間を移しました。

5月にはコロナ騒ぎで(陽性ではなかったのですが)デイに通えなくなり相当大変でした。その後やっと1階での生活が安定してきたと思ったら9月に原因不明の嘔吐を繰り返すようになり、結局入院となってしまいました。この3週間の入院が決定打となってしまい、歩行困難、立ち上がるのも困難となってしまいました。

実はこの騒ぎの前から、立ったり歩いたりすることを怖がるようになっていて、そういう劣化が起こっていたのでしょう。それを一気に早めてしまう入院となりました。

その結果、在宅介護はかなり困難であるとケアマネやショートステイの方々の判断をいただき、私として苦渋の決断をして老健に入れることになりました。様子見の3ヶ月を経過しましたが、従前のように動けるようになっておらず、継続となってしまいました。

本当に今年も大変な介護の一年でした。断捨離と居室の引越し、救急車、入院、施設入所と目まぐるしく色々なことが起こりました。私も振り返ってみるとかなり無理をして頑張ってきたように思います。

今は介護フリーとなりひとりの時間を過ごしています。できることなら、小ばばのそばにいてずっと面倒をみてやりたいのです。一応は会話できますし、ご飯を食べさせたら美味しいと言ってくれますし。でも、今の彼女の状態では、物理的に相当な負荷が私にかかります。時間も相当制約されるでしょう。冷静な判断としては今の状態を継続するのが良いかと思うのです。でもね‥

2024年どうなるかなあ。どうするかなあ。

延長 と言うか・・・・

師走に入りました。2023年もあっという間に終わろうとしています。年齢を重ねるほど時間経過を早く感じるようです。

 

大ばばとは2度実際に会えました。担当医が退職なさるそうで、その挨拶を受けて、面会も許されました。とても良い担当医だったので少し残念です。入院したときに、私が退職するまでは責任をもって診ます、とおっしゃていました。そのこころは、退職するまではもたないだろう、という部分もきっとあったと思います。でも、まだしっかり生きております。95歳頑張っています。

 

小ばばの方は、老健入所2ヶ月を越えました。毎週のように会いに行ってますが、足が萎えた状況は変わらず、このままで退所して在宅介護となると相当にきびしいことになります。それに耐えうる自信がありません。このまま延長で預かってもらう方向かと。寂しくて悲しい決断です。幸か不幸か、小ばばの感情には強い帰宅願望は感じられません。ここでよくしてもらってるよとしか言いません。喜怒哀楽も相当こわれてきてるように思います。私は彼女の手を取って、ごめんなさいと心の中でつぶやきました。

 

生まれて初めてひとりで年越しをすることになります。今回は一緒に食べる人もおらず、おせち料理は作るのをやめようと思います。

 

来年はさらに没頭できる課外活動wwを増やしていこうと思います。

 

 

リアル面会

大ばばが入院して2年余り。2021年の12月に特例で面会させてもらって以来ずっとじかに会うことは許されませんでしたが、今日リアルに面会することができました。

息子に半休取ってもらって二人で会いに行きました。パッドでのリモート面会は頻繁にやってましたが、ほとんど意思疎通できず、私のことも認識しているのかどうかわからない状況でしたので多くは期待しておりませんでした。

案の定、実際に2年ぶりに会って、息子と孫を見ても驚くことも懐かしむこともありませんでした。しかし、心なしか、表情は明るかったように思います。息子だよ、孫だよ、と言うと、わかってます、と言うのですけど、ほんとにわかってるのかどうか。

面会の間、ずっと意味不明なことをうれしそうに話していました。よく聞くと昔の思い出と現実がごちゃまぜになっているような感じでした。そんな中で弟の名前を出してなにやら言ってたのに少し驚きました。覚えているようないないような、記憶の断片の中で会話しているようです。

いずれにしても、見かけ上は元気で衰弱のようすも少なく、ちゃんと看護してもらっているように思えました。

リアル面会は再開されましたが、頻度はかなり抑えられるようですので、またリモート面会しながら次の機会を待ちたいと思います。

週末には小ばば面会があります。

ダブル介護からシングル介護になり、今のところ介護フリーになりましたので、この機会にいろいろと活動しようとしております。ブログタイトルはとりあえず変更なしにしておきます。