大ばばと小ばばのダブル介護と主夫日記

70年代に15から25を過ごしたリタイアおじさんの要介護の母と妻ダブル介護生活

ただの独居老人

大ばばは2年以上入院し、小ばばは老健でお世話になってひと月。

このブログも、タイトルの「大ばばと小ばばのダブル介護」状態は無くなってただの「(独居老人)主夫」日記となりました。しみじみと一人暮らしの静けさと寂しさを感じております。

病院も老健も、面会に大きな制限があり、大ばばには画面越しにしか会えません。もうすっかりすっかり私の事もわからなくなっています。せめて手でも握ってやれれば少しは違うのではと思うのですが。小ばばは面会周期が最低十日とされていて、なかなか合わせてもらえません。立ってよちよちでも歩けるようになれば迎えに行こうと思っているのですけど。

介護フリーとなって、何時までに帰らねばならないという縛りはなくなり、自由な時間が使えるようになりました。晴れ晴れとした気分とは、正直言えないですが、恐る恐る自由行動をとり始めております。演奏会のお手伝いを頼まれても今までは難しかったのが行けるようになり、年末までに2箇所、マンドリンとベースを弾きにいってます。絵を見に行ったり、コンサートに行ったり、孫娘に会いに行ったり、自由を実感しています。と同時に楽しくない一人暮らしも実感しているのですけどね。

掃除、洗濯、料理は元々嫌いじゃないので、手抜きしないでやってます。誰も褒めてくれないので自分で自分を褒めています(笑)。

さて年末年始は生まれて初めての一人かなあ。小ばばは帰ってこれるかな。一人だとおせち料理はどうしましょうね、と気の早いことを考えています。

 

 

ついに施設

先月の入院は3週間に及びました。結果として何が原因でそうなったのかわからないままの退院となりました。

予想どおりと言うか、心配した通り、全く立てなくなってしまいました。それに食事もソフト粥の状況で、通常食に戻すのに時間がかかりそうです。自宅できめ細かくケアをするのはかなりきびしいとケアマネにも勧められ、退院してそのまま老健(介護老人保健施設)に入所となりました。

老健は、介護を必要とする高齢者の自立を支援し、家庭への復帰を目指すために、医師による医学的管理の下、看護・介護といったケアはもとより、作業療法士理学療法士等によるリハビリテーション、また、栄養管理・食事・入浴などの日常サービスまで併せて提供する施設です(公益社団法人 全国老人保健施設協会のwebより)』

先月の入院以来もう一月以上一人暮らしとなってしまいました。

 

実は、この老健入所は、今回の入院騒ぎの前に話を進めていました。というのも、最近、とみに足腰の衰えが進み、立つのも歩くのも怖がるようになっていました。なので、このままでは寝たきりになりはしないかと心配して、老健にしばらく入れてもらってリハビリによって少しでも回復できないかと考えていたのです。普通に家でみれるのに老健に入れるのはかなり逡巡していたのですがとりあえず予定に入れておいたのでした。

そんなところに今回の入院があり、家でみれないため否応なしに入居させるしかないとの判断に至り、上記の逡巡も吹き飛んでしまいました。3か月の枠でみてもらいますが果たしてそれで済むのか心もとなく思います。

面会に行ったら、髪を短く刈られていて、染めてももらえず、いかにも老人施設の入居者然となっており、不憫で泣きそうになりました。今までは、懇意にしている美容院にお願いして、私も付き添って、きれいにカットとカラーしてもらっていたのでその落差に驚きます。

施設は、今までずっとデイサービスやショートステイでお世話になっている施設なので、スタッフも顔見知りですし、本人の素直で朗らかな性格のためかみんなに可愛がってもらっているようでその点は安心です。

予定外にひとりの時間を与えられ、家で腐っていても仕方ないので、趣味の活動を活発化してさみしさを紛らわせています。

介護フリーになって楽になったという気持ちと介護しながらも二人でくらすのがさみしくなくていいという気持ちのどちらが勝っているのか、自分に聞いてみてもはっきりと答えられません。

ひとりになっても家事のルーチンをさぼらないように律していくつもりです。

介護free生活だけど

今月はじめに小ばばが体調を壊して、いろいろあって結局救急車で運ばれて入院ということになりました。もう半月ほど退院したままとなっています。

病院側でも原因がよくわからず、どうやら大きな問題はないようすなので一安心しつつ、消化器系の不調のため、食べれず、ベッドに寝かされているようで、サルコペニアがとても心配です。

早く退院させてリハビリのできる施設で鍛えてもらわないとほんとに寝たきりになってしまいそうです。

今までは、部屋の中を歩く、トイレに自力で行く(始末は私がしますが)、起き上がって食事する、ということができていたので、介護と言ってもほぼオムツの世話に限られていました。しかし、それがフレイルからサルコペニアとなって起き上がれなくなってしまうと、すべてベッドの上で世話をしないといけなくなります。起き上がるのもサポートが必要となるでしょう。できれば避けたいところです。

病院は、今の体調不良の状態をミクロに見てそれを治すことに集中していて、全体として予後のQOLまでを勘案していないように思えます。

一刻も早く退院させたく思っていますが。

秋がどんどん深まります。早く帰ってこいよ。

今日会ってきました。相変わらず明るいのが救いです。

 

ほんとに月イチになってしまいました

月に1回しか書かないようになってしまいました。あんまり変化のない日々だと言うことでしょうか。

9月18日に地元の楽団の定期演奏会があり、それへの練習がピークになってきています。基本土曜午後の1時から5時までの練習となりますので、フルに参加すると帰宅が6時を過ぎてしまい、泊まりで預けないといけなくなります。ですが、介護サービスの公的な支援の上限もあり、とりあえず5時まであずかってもらえる臨時のデイサービスをお願いし、練習を途中で抜けて迎えにいくという形でやってきました。しかし直前になってきましたので泊まりのサービスをお願いして練習に出ることも増やさざるを得なくなっています。自分が指揮者であることから練習に出ないわけにいかないため、そんな形でなんとか本番を迎えようとしています。

同時に10月にライブ仲間との2年ぶりのライブをやることになっているのですが、そちらの練習には不義理をしてまだ一度も参加していませんがぼつぼつ参加を考えないといけません。

泊まりで預けるとなると自己負担額もそれなりにありますので、たかが趣味のために何やってんだと思うこともあります。ですが、それも取り上げられたら相当煮詰まってしまうことは明らかで、小ばばと生きていくと同時に自分としても生きていたいと思う気持ちに少しは正直に向き合っているところです。

このところ、歩行が困難になりつつあること、尿意がわからなくなっていること、歯磨きの手順やTVリモコンなどの操作も難しくなってきていること、など、小ばばのADL(Activities of Daily Life)がどんどん低下してきています。これがこのあとどういう下降曲線を描いていくのかが心配です。

そこで、少しはリハビリを強化できないだろうかと、老健のロングステイをお願いしようかろ思案中です。うちにいるとほぼ寝たままなので、施設にいれば少なくとも寝かせないでしょうし、毎日のようにリハビリしてもらえるので、ADLの低下を防止できないかと考えてのことです。

いつものデイサービスやショートステイをお願いしている同じ施設なので職員さんたちとも顔なじみですし、安心かなと思います。

問題は、私自身と小ばばが、それぞれ別れて暮らすことに耐えうるかとどうかです。ショートステイのときにひとりでごはんを食べて静かな家で寝るのがそんなに快適には思えていない私がいます。夜中に起こされないし、オムツ替えの心配もないのですが、ひとりはどうもしっくり来ません。

とりあえずロングステイを試してみて、お互いになんとかなるなら、いよいよ特養なども検討することになるのでしょう。どうなるかなあ。

 

 

回るルーチン

月イチのペースになってしまったこのブログ。

一階に居室を移してだいぶ経ちました。この酷暑の時期にはありがたいです。なにせ、三階に昼間上がれば40度を超えているときがありますから。よくぞあの環境に25年も暮らしたものです。エアコンフル回転でなんとか凌いでいたんですね。その点、1階は10度は低いです。二階、三階の空気による断熱層のおかげですね。エアコンもそんなにがんばらなくてもなんとかなります。

ということで、一階では、AVアンプとか大画面PCとかスキャナとかないですけど、あまり好きじゃないノートPCを使うようにしています。必要に応じてTVとHDMIでつなげてあるので画面も増やせますので支障は少ないです。最小限の小物と、着替えを一階に持ってきて基本的に暮らしのルーチンが回るようになりました。一階には、母のためにしつらえた小さな流しと、小さな冷蔵庫、電子レンジ、トースタがありますので、朝食はそこで用意できます。昼と夜は、二階のキッチンで作って下に運ぶことになります。ちょうど折り畳める机があったので、実は邪魔で捨てようとしていたのですけど、ベッドに足元側に収まるサイズで食事のときに使えると気付き、それをベッドサイドにおけば、小ばばはベッドに腰掛けて食べることができるのです。私は折りたたみの椅子で対応します。

食事作りと食器洗い、洗濯と物干し、私の風呂を二階でやって、あとは一階にいれば生活できるようになりました。

ガスコンロの五徳は使ったら外してガラス面を拭き取る、流し台はウタマロで毎晩掃除する、過炭酸ナトリウムで排水口や洗濯槽を定期的に掃除する、こまめに掃除機をかけ、トイレは汚してくれることが増えたので、まめに掃除する。ルーチンに組み込めばほぼ問題なく回ります。結果として割にきれいにくらせていると思います。

掃除していて思うのは、ものが床においていないのがいかにいいか、よくわかります。ルンバになった気分です(笑)。かなり処分しましたから。

ふすまを隔てて寝ていますので、小ばばの呼び出しもチャイムじゃなく声で聞こえますし、即応もできますし、階段落ちに心配もありません。

ということで新ルーチン定着しました。Xデイは少し遠ざかったかなあ。

とはいえ、となりにいる安心感からか起こされる頻度が増えてるな。あの酷暑でNASは大丈夫なのかなと少し心配してます。40度はだめかな?RAID組んで安心してバックアップは取ってないからね。あれ落ちたら全データなくなっちゃう。一階に持ってくるか。

レスパイト

卒業後一度もなかった大学の同期会が、入学50年の節目の今年にありました。小ばばを預けて、月イチの楽団練習も勘弁してもらって大阪まで行きました。

半世紀も経ったんですねえ。通信工学科総勢40名中22名の出席。ひとりずつ話をしましたが、みんなクソ真面目www。嫁はんのお尻毎日拭いてますという私の話と大違い。立派なん仕事をしてきたんだなというのがよくわかりました。完全リタイア組の方が少ない感じかな。この年になっても社会に求められているのは立派だなと彼我の違いを噛み締めておりました。

二次会という動きもなく解散。私は友人とふたりで自分のホテルの部屋でギター三昧、そのあとずっと喋ってました。彼には大学に入ってから、フィンガーピッキング中川イサトSimon&Garfunkelの弾き語りを教えてもらいました。それまでTVでしか歌を聞いたことのない私には新鮮な世界でした。それが50年も尾を引く趣味になるとは。

次の日は、朝早くに奈良へ移動。相変わらず近鉄奈良線は飛ばしますねえ。高校時代の友人と待ち合わせまでにたくさん時間があったので大和西大寺駅から、平城宮跡の北側を通って、法華寺まで歩きました。法華寺光明皇后さんの建てたお寺で総国分尼寺ですね。お寺にいる間は参拝客は私一人で静かな空気を味わいました。あじさいや蓮の花が静かにきれいに咲いていました。結構ゆっくりしたので、待ち合わせの郡山まで電車に乗ることにして、新大宮まで歩きました。毎朝の散歩くらいの4キロほどでした。新大宮は高校の最寄り駅で50何年前は、道も舗装されておらず、建物もなく、ひどいところでしたが今や奈良の新都心ですね。

関西の私鉄は広軌のせいかドアのガラスも窓も大きく、景色がよく見えます。東京に出てきたとき、電車で立ってると背の高い人には遠いところの景色が見えないのに驚いたのを思い出しました。平城京跡の中を走る近鉄線の移転の話は、保守分裂で漁夫の利を得た?新しい知事がキャンセルしてしまったようですね。

郡山駅につく頃は雨が降ってきました。友人と奈良県立民族博物館というところに行きました。残念ながら月曜は多くの博物館は閉館です。ここは博物館の周囲が大きな公園になっていて、そこをゆっくり散策しました。途中で、お葬式の話になって無宗教でのやり方などを友人に聞いて、興味を引かれました。

友人と別れてから橿原神宮まで行き、小ばばの兄夫婦を訪ねました。私の健康のことなど気を遣ってくれて、早く特養に申し込むようにと言ってくれました。前から言うように私の決心はついておりません。まだ見てやれると思っているので。今回のようなレスパイトは、小ばばが施設に入ればそれこそ自由に好きなときにできる訳ですが、制限の中の休息だからこそ休息できるんじゃないかなとも思います。今回も曖昧な返事をしておきました。

次の日は、大阪にいる弟夫婦の車で父方と母方の墓参。私のジジババの墓になります。もう来ることはないかなと思いつつお参り。そのあと、御所市に住む大ばばの妹、つまり叔母に会いに御所(ごせ)に。まだまだ元気な叔母を見て少し安心。柿の葉寿司で有名なお店でみんなで柿の葉寿司ランチしました。大ばばがもはや誰もわからなくなってしまっていることなどを話し、昔話などしてしんみりしました。

南大阪線橿原神宮へ、そこから京都まで特急で行き、新幹線で帰りました。2泊3日の休息。小ばばは4泊5日で預かってもらいました。

またしばらく変わりない日々を暮らしていきましょう。今度レスパイトする時は他の土地に行ってみようかな。

 

 

Xデイ

この春、頑張って断捨離しました。大ばばの部屋に小ばばを移動させるための断捨離でした。ひとまず収まってそれ以降次のステップに進めておりません。

小ばばの服類が大量に残っています。もちろん、自分自身の衣類もいらないであろうものがたくさん。昔の研究ノートや論文関係書類ももちろんもういらないのですけど手つかず。でも一度落ち着いてしまうとなかなか進めません。次のきっかけが必要です。

 

今月は自分の体調不良のあと、小ばばのコロナ感染騒ぎがあり、バタバタして過ぎていきました。一度陽性反応が出てしまい(結果としてコロナじゃない偽陽性)、そうなると、施設はまったく融通がきかなくなり、1週間出入り禁止を言い渡されてしまいました。せっかく自分自身の体力が戻りつつあったのに、1週間、ずっと在宅で小ばばのケアをせざるを得なくなり、ぜんぶ台無しになりました。陽性だと施設で言われて、うちで検査したら陰性、さらに訪問医にも検査してもらったら陰性。その事実を伝えても「一度陽性が出たら1週間だめ」というローカルルールで、拒否されました。

前にクラスタとなってしまったことがあり、気持ちはわからんでも無いけど、まさに「羹に懲りて膾を吹く」の対応でしたね。普段とてもお世話になっているのでそれ以上は言いませんでしたが、なんともしんどい1週間でした。

そんな生活をしていると、Xデイは近いかな、とつい考えてしまいました。小ばばの足腰はさらに弱まり、満足に歩くこともできなくなり、便のコントロールが全くできなくなって処理が悲惨なことになっています。もちろん3食用意しなきゃいけないし。そんなことはずっとやってきたし、これからも疑いなくそうするんだと思ってきましたが、デイサービスにもショートステイにも行けず、ずっと家にいる小ばばの世話をし続けることはやはり相当な負荷であったようです。

今は施設通いももとにもどりましたけど、これを続けていけるのか不安を覚えざるを得なくなってきました。

ひとつ楽団を辞めました。主に活動する楽団もデイサービスは使いますが帰宅時間の関係で終わりまでいられません。ちょっとひとりでお留守番してね、と言って出かけていたのが不可能になったためです。私なしでは何もできないですから。

 

という訳で今まで考えてもみなかった施設入居が少し現実味を帯びてきたように思います。ほんとに不憫で可哀想なんですけど、私自身の残り時間を考えると、この制限をずっと甘んじて受けてほんとにおまえは大丈夫なのか、と自問してしまうのです。人様のSNSを見ながらjealous, enviousと思ってしまう自分が情けない。